たまごまぜごはん

TKG Advent Calendar 2018の2日目の記事です。

人が卵かけご飯と言ったとき、僕の頭の中で連想されるのは「卵まぜご飯」と呼んだ方が適切であろうと思われるものだ。幼少期に母親の紹介を経ていわゆる卵かけご飯との出会いを果たしたとき、それは当たり前のように混ぜ合わされた後の状態になっていて、さも混ぜ合わされるという工程を経て初めて卵かけご飯という名を授かるのだと思わされた。

ご飯とおかずは均等な味の比率を保っていなければならない。当時の僕は暗黙的にこのようなルールを遵守していた。特定のおかずにご飯と合う種類の味がどの程度含まれているかによって同時に口に含むべきご飯の量は決まる。これは単なる目安というより、可能な限り守られなければならない規定だった。特定のおかずに対して必要な量のご飯が用意されていないとき、味の総量としてご飯を超えるだけのおかずは食べることができない。そしてそのルールを犯してしまうことに強い罪悪感があった。

チキンライスやチャーハンなどの色付きご飯は例外として扱われた。ルールに則るならば、その味付けの量が対応するご飯の量を超えている場合は均等になるだけの「白いご飯」を増やして中和するというのが筋だ。しかし僕の家庭では色付きご飯の日には炊飯器の釜は「洗い待ち」状態で食事が開始された。これは色付きご飯の日には白いご飯を提供する意思がないということを示す。僕はこの色付きご飯の場合にはルールに当てはまらないとして自分を納得させた。従って色付きご飯の日に白いご飯を食べることができる状態になっていても味を中和させることは必要ではない。

他に少し複雑な対応として、ちょっと茶色いキノコ混ぜ炊き込みご飯のような、色付きご飯ではありながら味の比率としてご飯の方が多いという薄い色付きご飯パターンもあった。これまでのルールに則れば、薄い色付きご飯にはおかずの味の量が不足しているためその分の別のおかずが入り込む余地があるはずだ。つまり特定のおかずを食べるときに、白いご飯の場合に比べれば必要なご飯の量は増えるが、薄い色付きご飯でも味の比率を均等にするルールを守ることができる。しかし当時の僕には別のルールとして、別の種類のおかずの味を混ぜてはならないという決まりがあった。そのため薄い色付きご飯を別のおかずと同時に食べると規定違反になる。

ただそうはいってもこれではその日の食事を食べることができない。これに対する対策として、僕は薄い色付きご飯は白いご飯と同一であるというように解釈した。このご飯には一切の色などなくて、白いご飯とまったく変わりがないのだと。もちろんこの解釈には無理があった。強く念じようとも薄い色付きご飯はやはりおかずとしての佇まいを残しているのだ。僕はこれに対する打開策を講じることができず、薄い味付けご飯の日は「捨て」であるということにした。

こうした背景を振り返って自分はなぜ卵かけご飯は卵混ぜご飯であると捉えているのかが分析できてきた。まず卵の味がご飯全体に均等に浸透していなければ食べることができない。それに塩や醤油が混ざると色付きご飯のパターンとして取り扱われる。そして色付きご飯であるということはこれまでのあらゆるルールの免罪符となり無限の進化の可能性を獲得するのだ。

卵と納豆を混ぜたご飯に目玉焼きを乗せて食べました